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シロツメクサが咲き乱れるクローバーのじゅうたんの土手に寝転んでいたらどこからともなく微かに、でもむせ返るような甘い香りが漂い、ささやく様な、葉擦れの様なサワサワサワッ、サワサワサワッという音が聞こえます。目を凝らしてみれば、小さな蜂やテントウムシたちが忙しそうに花から花、葉から葉へ動いています。鳥の声以外何の音もしない静まりかえった山間の土手。地味なしろつめ草がこれほど甘い香りを放つことや、小さな虫たちの羽音がこんなに大きく聞こえる事になぜか心が震え、すごぉいと叫びたい気分でした。 雑木林にお気に入りの大きな木があります。根本から6本に別れている大きな木。悠然と林の奥に立っているその木に会うと安心出来る大好きな木です。会いに行ったら、あたり一面に小さなちいさな白い花がいっぱい、まるで星が散りばめられているみたいです。その花の主はだれかと廻りを見てもそれらしい木は見当たりません。ふと見上げれば頭上はるかのその大きな木から、風花のように白い小さな花片が舞い降りてきます。まさか花が咲くなんて思ってもいなかった木に、一つが小指の爪の半分くらいしかない、可憐なちいさな花がいっぱい咲いているようです。 離れて見たら樹上が白くおおわれていました。小さなこどもたちがととろの木と呼んでいるお気に入りの木。葉がついている枝も上の方なので葉の形もよく分からず木の名前がわかりませんが、図鑑で花を頼りに調べてみるとハイノキの一種クロバイのようですがこれも少しあやしい限り。名前はわからないけれど大好きな木に花が咲くことが分かりました。又少し、ともだちになれた気がするお気に入りの木…
車に轢かれそうなので拾いました。 バケツにいれて見ているとなんとか這い上がろうとしては滑っています。覗くと気配にさっと首も手足も引っ込めるその動作のすばやいこと!パタパタッという感じで尻尾まで起用に甲羅の中に取り込み、ほんとに"私は石です"という様子に"なんて良くできているの"と感動でした。生きているカメをしげしげと見たのは初めてで、まさしく亀甲模様になっていて表も裏もとてもきれいで、装身具等にされるのも無理はないと思ってしまいました…一生懸命なんとか這い上がろうと、物音に首をすくめては、落っこちても、落っこちても頑張る様子に、なんとかカメさんの住める場所に戻してあげようと車で出かけました。先ずはカメさんが歩いていたあたりへ。道路際2m位下に確かに沼地のような所はあるのですが、水が干上がってほとんどありません。でも多分ここから上がって来たと思われるので、そこへ戻そうかと一度は降りて行ったものの僅かばかり残っている水も泡立っていて、とてもえさがあるとも思えなません。多分環境が悪化したので新天地を求めて旅立ったに違いありません。戻したら「あぁあの苦労は水の泡か…」と嘆きそうなので別の場所を探すことにしました。次は近くの小さな沢へ。そっと降ろしたところ泳ぎだしましたが少し先の段差があるところでストップ。どうしようかなぁと迷うようなそぶりの後、方向を変えて道路の方へ上がっていこうとするようです。カメのいる場所をつらつら考えると沼や池等あまり水が澄み切ったところにいる記憶はなく、多少濁ってないとだめかも…ということで沢も止め。又バケツに入れてドライブ、次なる候補地へ。少し行ったところに子供たちが釣りをしている池があるのを思いだしそちらへ行きました。そこは水もたっぷりあり釣りをしている人の姿がありました。池に向かって歩き出したらバケツの中で首を長く伸ばし、手も足も出してバタバタさせて、"ここだ,ここだ!"と言わんばかり。バケツから出して池の端に下ろしたとたんものすごいスピードで泳ぎだし、あっという間に池の中ほどへ姿は消えました。それまではどこへ行ってもシンと静かだったカメ君がそこでだけバタバタするなんて不思議だなぁと思いました。そこが自分の望んでいるような場所だと分かったのでしょうか。水のにおいか、仲間のにおいがしたのかしら… |
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丸山祐一郎さんの水カンリンバ作りのワークショップをして以来 水カンリンバ作りにはまっています。 ワークショップは大人と子供一緒に楽しみました。 多分間違った缶を持ってくる人が 多いから用意しましょう!との丸山さんの一声で近くのコンビニへ出かけました。 表の缶入れにはほとんど無くお店の方に声をかけて、裏にあるゴミ袋を明けさせてもらいました。さっさと袋を開けひっくり返して缶 を拾う丸山さん。臭いと水浸しに素手で拾うのに一瞬ひるみました。が、あっという間に宝物を見つけた気分になるから不思議。 約80ケの宝物を持って意気揚揚と帰りました。(それにして も缶を返す時中を空にして、できればサッとゆすいであればリサイクルする作業の方が 助かるだろうなぁと思いました) ワークショップは先ず缶を洗う事から始まりです。それから中に入れるお水を川に汲みに行きました。そこに水道はありますが、水の大切さを感じて欲しいと川までみんなで歩いて行きました。缶 イッパイにお水を入れて帰る途中も作業中もお水をこぼす人がいなくてビックリ。後の作業中も子供たちの集中力に驚きました。初めての事を大人も子供も一緒にやると大人が子供を覗きこんだり、聞いたりしてとても面 白かったです。缶を4本つなぎ合わせたら和紙や布を貼って出来あがり!ここでも子供がのびやかにいろいろな組み合わせをして完成させていました。 出来あがったカンリンバを宝物のようにしっかり持って走り回っている子供たち。 4ケの空缶が転がっていたらゴミでしかありませんが、手を加える事で宝物に変身。いろいろな事を感じさせてくれた水カンリンバでした。 その後自動販売機を見かけるとつい缶入れを覗きこみ、 使える缶があるともらって いきたくなる後遺症にかかっています。
千葉の市川市では海の記念日を前に海岸を掃除し、拾った空缶を使って水カンリンバを作り、海の記念日に大合奏をしたそうです。 海や山,川を掃除してきれいにし、手作りや、かそけき音に耳を澄ます時を持ったり、合奏したりする楽しい時を、大人も子供も共有する事はとても大切なことと思います。北海道では手のリハビリに使われたり、岐阜の小学校では水カンリンバを作って歓迎する全校児童と丸山さんが大合奏した事もあるそうです。 丸山さんは「リストラされた人も"森"の中に分け入って耳と心を澄まして欲しい。 案外人生は悲観的なものでもないはず。子供達も自然の音にもっと敏感になれば心の問題もきっと解決する。私達の暮らしを作りなおすきっかけに水カンリンバが役に立てば」と演奏活動の合間に全国を教えて回っています。 「水の輪」が各地に「人の輪」を作りつつあります。 目下の丸山さんの夢は2002年のワールドカップ神戸会場で水カンリンバを合奏して鎮魂をすること。 「神戸はブラジルのリオデジャネイロと姉妹都市。富士山か六甲の水と、アマゾンの水を半分づつ入れた水カンリンバに貧民街の子供達のバナナの紙を張る。森と水の国が交流を重ね、生きている水への感謝の気持ちを世界にアピールできたら素晴らしい」 サンバギタリストとして勉強にブラジルへ行き、一弦の楽器ビリンバウと出会って ビリンバウ奏者となった丸山さん。いつかブラジルで水カンリンバの大合奏をしたいというのも夢だそうです。 水カンリンバ作りが広まり各地で山や川、海をきれいにしつつ大音響でない静かな音の輪が広がったらステキだなぁと思っています。 |
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台風一過の青空、吹きぬける風に一面の緑色の海に波立つ水田。 木々のざわめき、光る梢。ひぐらし、ほととぎすが鳴き、雑木林は夏へと 姿を変えていました。 緑濃い山へと続く細道の草いきれに、子供の頃の思い出が呼び覚まされます。 匂いや音は記憶と強く結びついているようです。瞬間に遠い昔のひとこまが 鮮やかに目に浮かびます。 夕立の土ぼこりのにおいが好き。 おばあちゃんが仏様にお備えする為に、と丹精していたような懐かしい花々 が並んでいる田舎の庭先や畑の一角の花畑が好き。 たくさんの好きがあります。 いつものあれ、いつもの風景、いつも会いに行くあの木… そんなものがとてもいとおしく、大切な宝物。人生を豊かに彩ってくれるのは 心のアルバムに貼られたそんな一こま、一こまのような気がします。 慌ただしくアップテンポで生きていると、取りこぼすことがイッパイありそ うで、せめて歩くスピードで生きていたい…雑木林の四季の営みを垣間見て いるとそう思えます。 「人間を英知へと導く方法は、自然のものに目をみはり、自然の発する言葉 に耳を傾けることだ ヘルマン・ヘッセ」 こんな一文が目に止まりました。自然も人も出来事も風景として眺めるだけ では見えない事が、じっと見ること、傾聴する事で見えてくるものがあるよ うな気がします。何気ない事の中に大事なことが沢山詰まっています。 どんなこともじっくり、ゆっくり時間の流れの中で醸造され、何かをかもし 出すほど丁寧に付き合いたいと思っています。 2000.7 |
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アウシュビッツ、ポルポト、コソボと20世紀を生きた証人として何が起こっているか写真を通じて見続けている大石さんがコソボでの写真と共に語られた言葉より 民族紛争はどこででも起きうる、ごく少数の権力者なり政治家なりが石を投げかける事で扇動していくことができる。平和な世界に馴れコソボの問題でもよそ事としていると、知らないうちに自分がその中に巻き込まれ得る。人間は理性も愛情もあり素晴らしいけれど大多数の人がその中に残虐性を秘めている。その心の奥底にある残虐さを起こさないようにすることが大切ということ。一握りの人間が多数の人々をまるでネジかクギのように扱う悲劇。コソボの子供達は100%傷ついている。その子たちが人を自分を信頼できるようになるまで見届ける責任が私たちにある。 百万言の言葉より雄弁に語りかけてくる写真の中の眼差し。 アウシュビッツ、ポルポト、コゾボと写真家大石芳野さんが戦争をテーマの撮りつづけてこられた写真は、TVの画面を抜け出して動き出しそうな温度の感じられる写真でした。 ポートレートがそこにどれほど過酷な世界が広がっているかを語りかけていました。「民族紛争はどこででも起きうる、ごく少数の権力者なり政治家なりが石を投げかける事で扇動していくことができる。平和な世界に馴れコソボの問題でもよそ事としていると、知らないうちに自分がそんな紛争の中に巻き込まれ得る。」という大石さんの言葉が印象的でした。 地雷の番組を観ていても思ったのですが自分の中にある残虐性を知り自分も加害者になり得る弱い人間であることを心にとどめている事。 遠いどこかの問題でなく、自分の問題として少しでも引き寄せて考える事がとても大切な事と思いました。コソボでアルメニアの人が住む村では村全体で、難民を受け入れ、ある家では7世帯42名引き受けておいででした。 人をネジやクギのようにみなし残虐な行為をするのも人間なら、アウシュビッツでもどこでも崇高な行為をするのも又人間。人が心の奥に秘めている残虐な部分を行使しないでおくには、少しでも荒みのない社会をつくろうとする事が大切な気がします。身の回りに穏やかな世界を創りつつ、遠い世界のことでもつながりに思いを馳せること。それが共生社会を築いていく第一歩のような気がします。それには内なる平和な世界を築くこと…と思えどウ〜ン・・・ |
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BS T.V.21世紀への証言「勇気と良心の旋律」という番組でチェリストのロストロポービチのインタビューを放送していました。ソ連時代に反体制作家のソルジェニーツィンの窮状をみかねて別荘を提供した事で弾圧を受け、国籍を剥奪され1974年から1990年まで国家追放されていたいきさつなどインタビューしていましたが、ひとことひとことが宝石のようで魂に響いてきました。 ・良心の気高さを守ろう 人はいつか良心という裁判官と出会う。 良心に反する生き方をしていると自分を許せない瞬間がくる。 良心とともに生きることが幸せ。 ・考えなくてはいけない事はただ一つ。 自分は神に近づく階段を上る行為をしているか、降りる行為をしているかということ。 ・若い人は20世紀がどんな時代だったか知らなくてはいけない。われわれは起こった恐ろしい出来事を繰り返さないよう語り継がなければいけない。 ・現在は人間関係のターニングポイント。 地球は一つの家庭。わたしたちはみんなの地球に住んでいる一つの家族。 これまで一つの国は一つの家のようだったが、今日我々は別々の家でなく地球という一つの家に住んでいる。別々の部屋に居るが一つの台所を世界中で共有している。 他にも素晴らしい言葉の数々でした。最後に行動する上で何が大切かとの問いに応えて「置かれた状況に応じて、小さな一歩を進める事」と当たり前の生活の中で良心にしたがい生きていくことが大きな力になる事が淡々と話される中実感として感じられました。 ものすごく大きな勇気をもらった、そんな気のする番組でした。 |
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風のささやき、雨だれのワルツ、月明かりに興じた影踏み… 最近こんな時間を楽しんだことありますか? 便利・快適を追い求め、無い物がないくらいさまざまな電化製品や物があります。 家に収まりきらないほど物でイッパイです。スイッチをポンと押すだけで何でもできてしまう便利そうな生活。 でもそんな中で暮らしを失ったような気がします。 旬が分からなくなった野菜、年中同じ温度の空調、季節の風物詩もめっきり少なくなりました。 手仕事をしなくなったことで、物への愛着やはぐくむ心が失われてきたような気がします。 ひとつのものが生まれるまでに注がれる気の遠くなるようなエネルギーに思いをはせる事もなく簡単に捨てられる物たち。 物にもいのちがあり最後まで全うさせようとこまめに手をかけた先人たち… 庭先農業を楽しみませんか?プランターでもイイ、何かを育ててみよう。 安全な食べ物が得られ、いのちのつながりが実感できる上、何かを作ると「もったいない」って 言葉が自然に出てくるような気がします。 「もったいない」から始まる暮らしの転換。 環境問題は自分の生活の質を見なおすことが"はじめの一歩"ではないでしょうか? |
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麦秋の黄金色、水田の緑、色を深めつつある山々。春から夏へ移ろってきました。 自然の色合いの見事さは見飽きません。 2000年問題で頭を痛めていた日が遠いことに感じられるこの頃、早くも梅雨入りです。 皆様お元気でいらっしゃいますか? あと半年で世紀を超え21世紀を迎えます。 環境問題、教育、医療、福祉等々より良い社会をバトンタッチする為に 解決すべき問題が山積しています。 いつの頃からか安全の代名詞であった筈の空気や水、食べ物が安全でなくなり、 いのちの確かさが失われてきたように感じます。 人間も自然の一部であり豊かな大地の恵みなしには生きられません。 自然に対する信頼、つながりを取り戻すことが生きる喜びの感じられる、 いのちが活かされる社会につながるのではないでしょうか? 夢や希望の描ける社会、早く大人になりたいと憬れるような社会にするには、 生きている基盤である自然の確かさが不可欠と思います。 資源、自然を大切に使い、守り育てる方向へギアチェンジしないでは 未来を次の世代に渡せません。 一人の力は小さくても手をつなげば大きな力になります。 (6/1 鶴田) |
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