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| 「二つのエコロジー」・・・ディープとシャロウ |
| 2008年は環境復活の新年としましょう。現象を追い、目前の成果で良否を主張する、又は判定する自己中脳の時代を終わらせることが大切です。心の時代・意識の時代。なんでもテレビなどに「成果」の映像を求め、そこで優劣を決めてかかる人間業(ごう)の時代から「宇宙の変化」「地球の変化」におののき、目に見えない生命力に意を注ぎ、宇宙の創造力と人間の意識が合体することで直観できる祈りのようなもので、温暖化問題に挑み、文明・国家・エゴを崩し、人間を純化する流れをお互いに工夫して行く時代です。 地球温暖化阻止を、地球人類の明日の生存にかかわる根本事業として、国内外共々に騒がしくなってきました。CO2発電という構想も1990年頃から聞き及んでいましたが、その頃から私は世界人口の数や、せめて人口の1/2億本の苗木を植える努力を、国際的な約束ごととしてやることを忘れていませんか?と言っていました。 前者の方法(方策?)は先端技術の粋を盡(つく)したもので、そのシステムの概略図面を拡げ、その方式を説明されると、何と凄いことか、人間の科学技術はそこまで可能なのか!と、驚いたことを忘れてはいません。でも、後者の私の考えは1991年以降実際に実践してきたタイとインドに於ける森林ボランティアの複数年に亘(わた)る体験に基づくものであり、「自然と人間」の密接な一体化の関係を拡めることが有効であるし、大切なことだと「自己の細胞」の声として「地球さま」の奥底からの要請として「霊体験」した真実に基づいた考えであります。決して古くならない「雇用増大」と「平和」の為の人海作戦と嘗てから環境保全の社会政策として良策と考えています。今も…。 「リサイクル」「リユース」「ゼロエミッション」も真剣な政策として尊い考えであります。が、より大切なことは、これ等の社会体制的なことではなく、それにかかわる人間の成長、「生きものとしての」意識改革こそが、人間教育として真剣に問われなければなりません。 文化的に高度であると考えられるものの中には、地球生態系を保全するために宇宙が用意・配備されたものとは異質な「欲望」が独善的に隠されていることが沢山あるのでは、と考えられます。実に高邁(こうまい)で美化されているシステムの中にも「宇宙神」の奥深い生命運営のための“支配”を、かえって困難にしていると考えられるものがあります。人間の物欲・人間の都合中心の満足を達するための進歩と称せられる一歩一歩の足下に、地球が困り、地球生態系が困るシステムが文化・文明の華麗な羽ばたきの故に、目に映らず、秘かに摂理を瓦壊(がかい)する元凶となっているものが沢山あるように思うのです。 人間だけが地球エコシステムの住人ではないのだ!空気も大地も所有権者は地球なのだ、としっかり受けとめ、自己中心の欲望を沈め去って「地球中心主義こそ天の加護を呼び、生態系生物群の生存が可能になる唯一のシステムなのだ」、と今こそ永遠に古くならない方式に力を注ぐべき時と考えます。どうでしょうか?! 先祖を偲び、感謝し、環境という「生きもの」の親を供養し、立派に復活させるべく「摂理に添って」投資をし、働くことを目標にしなければなりません。自分たちの生存のために、欲望的目標達成のために環境を「使う」今までのやり方は全くダメ。 もうこれからは「親である環境を創造する」のです。物質科学万能の迷信を広め、人心を権利の主張と、傲慢(ごうまん)・怠惰を合理化とする概念で自分たちを狂わせ、親(環境)を摂理の法に違背させて老化させた。 環境に生かされていて、やっと生きているという感動の中身を深く勉強しましょう。ディープ・エコロジーの実践のために。 |
| 「二つのエコロジー」その2 |
| ディープ・エコロジーの実践的理解の為には、人間が行ってきた過去からの浅はかなシャロー・エコロジーの実例を知っておくこと、一見立派な事業でも、それこそが生態系を破壊することになってしまった実例を知っておくことは大切です。 この地上生態系という実体は、40億年来の微生物からヒトに至るまでの生物進化の歴史が、何千萬種もの生物群が幾重にも重なり合い、交わり合い、食べられ・食べるという「食連鎖」を通して、相互が他の生存環境になりあいつつ、寸刻の休みもなく生活を続けてきた結果創生されたものです。一口に言えば、地球に寄生する生物種の1から100までが絶妙な調和を形成している姿が「生態系」という訳です。生態系の生物群は、宇宙地球の始原的な法則に則って展開されてきました。その間、どんな種も自己中心的な我儘は許されず、生存条件として地球が用意した環境に適応することで進化してきました。 この進化のスピードは古生代、約6億年近い昔から、それまでの極めて緩慢なものから急激に加速されました。しかし地球の年令からはほんの少し前、即ち4〜500万年位以前から、人類は進化で与えられた知性を駆使して、自然環境に適応しつつも、積極的に自然に働きかけ、産業革命からの200年余りのうちに達成した重化学工業の発展により地球上で大きな地位を得てから、自然を変えるばかりか、自らもその発展によって重大な影響を受けるに至ったのです。 生命とは「宇宙の尊厳そのもの」と定義したいと思ってきました。人類だけが生命現象の主人公ではなく、結果が生命圏の他の生物にも不都合になることが「直観」できることを、人間の都合だけで莫大な資金を投じて強行するケースも多々見られます。 1990年代に作られた長良川河口堰が完成から3年余りした1999年に、1998〜9年春にかけてのある大学の研究者の報告が新聞記事になりました。それによれば、堰のあたりは悪臭放つヘドロが2mも貯まり、盛んだったシジミ漁は潰れ、その影響は中流にまで及び、長年其処で漁師をされている一人は「嘗ては潜ればアユが体に飛び込んでくるほどだったが、今は数も少なくアユの体自体“小ぶり”になりました。ベンケイガニ、ゴカイ、サツキマス、シラウオも減っている」と。大自然の都合を無視して強行した人達は、一体この責任を“環境”に対してどう取るのでしょうか? 社会が動いているのは人間たちの生活があるからで、シャロー思考になり勝ちなのは人間の生活自体、今も全く自然界に依存しているのに、マーケットがその事実をふさいでしまっているからでしょう。実際問題、生活の多くは大げさに努力をしなくとも息もできて、歩けて、話せて…、と大多数の人々は、その「自然」を意識しません。腸内細菌の活躍があって生かしてもらっていますが、その事を殊更日々重大に思うことはありません。同様に自分たちが秘やかに持っている夢も、自然の水、土、空気があってのこととは考えないのが普通です。 ところが、生存環境がここまで傷ついてくると、新しい開発や、河川の改修、村や町の道づくりも人間の都合よりも、その作業で自然の機能がどうなるだろうか?を先ず問わなければならない――その事を二の次にして市街化を進めるとやがて災害の因となってしまう、そんなケースが多く、その「因」を見ようとするのが本当のエコなのですなぁ。都市計画論や生活デザインからにおうのは、矢張り人間優先・化学とか文明論が経済価値という分野を優先してしまう危険ではないでしょうか。 |
| 「二つのエコロジー」・・・ディープとシャロウ その3 |
| 20世紀に、我々人類は2度にわたって世界大戦を経験しました。他国に勝利するには、何よりも強力な破壊力を誇る武器・弾薬・道具を開発・保持せねばなりません。各国は他国を圧倒するためありとあらゆる知識・技術を総動員しました。 科学・技術は当然、異常に進歩しました。大戦後も、次の戦いのときに備えて国家間の「笑顔の影で行われる」競争は益々すすみ、欲望中心の生き方が個人レベルに浸透しています。人々の猜疑心は民族間と文明間に深刻な対立を呼び続けています。殺生も止みません。中東諸国を中心とするテロを見れば貧富の差からくる権利意識は、水平思考に眼を(意識を)釘付けにして、 “文化”という各地での生活習慣、各民族ごとの特徴ある「他を慈しむ美徳」を消し、欲望が一部の大衆に引きずられて吹きあがり、自分たちが地球生態系のお陰・環境という宇宙賦与の生存条件の故にこそ、この地球で生きておられるのだという視点が丸っきり消えてしまっています。 日本に眼を移してみると、正直、質実、熱心なんてことは死語同然となり、金銭欲をあらわにすることを何ら恥じず、教育が行きわたったことで多くの若者たちを自信過剰にしました。その傾向は他の多くの国々でも感染症のようにはびこり、人が、社会が、国家が、自然を征服できると錯覚できるような技術・資本を持つことで、自分たちの幸福・自分たちの文化を昂揚できると思う傾向に行き過ぎの影がさしているようにみえます。 謂わば、大自然への深い感謝が忘れられ、“環境”という生存(・・)条件(・・)を無視しても、エネルギーの獲得に余り支障がないようなら生きられるのだ、とする無意識の錯覚が、生命(いのち)への感慨を浅いものにしてしまっている傾向が、この日本でも、他の先進国でも際立ってきました。総じて、ヒトは言うならば、宇宙と言いたいのですが、平易に言って、環境の立場から自分たちが読めない(・・・・・・・・)人間になりつつある訳です。 何が何でも経済・豊かな収入・・・ということが主眼になってしまいました。けれど今や、自分たちの生命の「生みの親」である環境に対しての深い配慮(ディープエコロジーマインド)を欠いて、もうどうにもならないところに人類が居ることを知らないと、全ての既存組織はダメになるのですねぇ。 「地球環境」を中心にすえ、自己・集団・国家という区切りの概念を消さないと生きのびられない新しい文明にさしかかっていると悟る(さとる)必要に迫られているのです。 男女の区別、一般の人々と専門家との区別、個人と企業や、消費者と生産者の区別がしにくい程に情報が行き渡り、ただ化石燃料を含む「資源」と「食糧と水」をめぐって戦争が起きないように世界の皆がモラルを高めないと、これ以上森林の減少に手をかすなら海水位が85mも上昇する予測計算もあるのだ!との警告もあることを知っておく必要があるでしょう。 一種類の始元バクテリアから始まった地球生物が、6千万とも8千万種ともいわれるほど増えたのは、互いに滅ぼしあうことをしなかった生存法則のせいで、生き物が共存共栄してきた揚句の成果と言えます。その多様性が今や日々喪失し、この100年ほど前から25〜27%ほど平均して失われ、最近では絶滅種は増加の一途と報告されています。人類は一人ひとり何をすべきか考究できないでいます。日々の生活の中で、どういう情報を手にし、どんな情報を捨てるかの選択の基準となる大生命観が持てないでいます。小手先の経済学やハウツーものが幅を効かせ、生存価値(環境の本質)を語る意見が遠ざけられる傾向を否めません。これは心の汚染を示唆する傾向です。 皆さん!汚染されているのは地球ではなくて、本当は私たちの“思い”なのではないでしょうか?是正の為の薬があります。それこそは大自然の空気、緑、水、光・・・のすべてに、日々、午前、午後、一息ごとに感謝を思うことではないかと思います。ディープエコロジーの基礎であります。 |
| 「二つのエコロジー」・・・ディープとシャロウ その4 |
| 地球という天体のボールは四方八方、全表面で宇宙空間に触れています。しかも、常時ぐるぐる回転して止むことがありません。夜になって、私たちの眼に触れるあらゆる星々は、大きさや形態に多少の差はあるでしょうが、地球と同じように回転しているようです。 この星も、この星座も、皆な回転しているということでしょう。この動力源は一体、どうなっているのでしょう?何十兆個という巨大な岩のボールを、或る時は何十万度というのか、何百万度というのかわかりませんが、超高温で原子の火を燃やしながら、本当に、誰が何の理由でまわしているのでしょうか。この地球という最も身近な実物に就いて考えてみても、ちょっと踏み込むと少々愉快な物語りが拡がりますなあ! 赤道の周りは凡そ(およそ)40,000Kmと言われていますが、これを1日(24時間×60分×60秒)=(86,400秒)で概算割りすると、453m/秒が得られます。1秒にほぼ、400m〜450m地球の表面は動いているので、あの6000℃ほどの太陽表面温度で何百度にまで熱せられずに夜を迎えることが出来ているのでしょうか。それに、太陽光の熱線と地表の生きものとの間には、空気層・オゾン層など何重にも地球が「衣」を着せてくれているので、生態系の生きものたちは黒こげにならずに済んでいるのでしょう。 生態系の一員――それが植物であれ昆虫であれ、動物であれ、草花であれ、人間は言うに及ばず、それらと付き合うというのは、長所(・・)を(・)引き出す(・・・・)よう(・・)に(・)接する(・・・)ことではないでしょうか。生きるとは、誰であれ、その人を、その個を生かすことで自分も生きるという深い事情を悠々と考えながら日々を過ごす事、と言えるのではないかとも思います。 生活の深い部分でそんな心を持とうとしないで、表面的で柄も色も同じような情報洪水に浸かっていると、人間は脆(もろ)くなり、社会は弱まります。所謂(いわゆる)、浅い考えで行為する人々が数の上で圧倒的に多くなると、最も大切な基礎部分の社会性・世界の法則のようなものに全く無関心になってしまい勝ちです。本当に大事な地球の発する「気配」のようなものに鈍感になっている今の世は、そういう危機にあると言えるのではないかと思うのです。 些細な日常生活の場で「他人のことを心配し、自分として何かできればやって行く」ようにすることが肝要。小さな昆虫、小鳥、蛙などの生きものを仲間(衆生)として「共に生きているのだ」と思えたら、些(いささ)かなりとも、宇宙のルールとしての「共生の証(あか)し」を発見したようで誇らしく、自分の心に微笑むことになりませんか?環境を保全し、再生する「小さいが決定的に大切な」体感と言うものでありましょう。 浅くて、即興的な、話題や、大衆性だけに浮かれ、おいしい、すごい、「うまい!ねえ!」式のTV番組の如き「ノリ」もよいでしょう。でも、日に何回かは、地球が叫ぶエコ・ルールの厳しいリズムに心耳(しんじ)をすましたいものと思います。 私たち人間が、今や自分たちを教育し直すときを生きていると思われませんか?深々として巨大な「地球エコロジー」の原則認識のため、一人ひとりの人間形成が「宇宙神から求められる時代」が湧き立ってきました。国民の一人ひとりが芯から健康で免疫力のある強靭な体力を目指さず、徳性を高め、国力・経済・社会的和合・連帯を実現できないなら、世界平和への貢献なんて覚束(おぼつか)無い。人間形成・徳育に「まっしぐら」がディープ・エコロジーの峻厳な命令だと思うのです。 「感動したり、深く考える喜び」が、人間から離れて行くことは本当に怖いことです。そうすると、勇気が心から消え、代わって隣国に対する鋭い敵愾心(てきがいしん)が燃え上がるんです。学校や下世話な世間法の次元では、身近で弱いものを苛(いじ)める方向に人は流されるんです。浅はかな目先のエコ感性は、同じような理屈で、地球をドンドン各個人の生活場所の遠くから音もなく加速度的に崩して行くのです。恐るべし、シャロー・エコロジーです。 |
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