朝日新聞 私の視点
◆ヒトクローン生命科学の本質見誤るな
JT生命誌研究館館長中村桂子
ヒトクローン誕生があるかもしれないという報道もある中で、気になるデータに接した。
メディカル・スチユーデント・コンファレンス(代表=東京医科歯科大・藤原武雄氏)が医療系学生約千人を対象に行った「クローンに関する意識調査」である。
まず、「クローン技術で人問を生み出すこと」については「好ましくない」という回答が74・6%、「好ましくないとは思わない」が13・2%、「わからない」が11.8%である。2番目の回答は二重否定なので判断が難しいが、否定的態度が4分の3を占める。

ところが、「不妊治療を目的として、夫または妻の遺伝子を受け継ぐためにクローン技術を便うこと」という質問には、審査機関の承認などの制約下ならよしとする回答を合めて、「認める」が50・5%となる。体外受精は多くの問題をはらみながらも今や不妊治療技術として杜会に受け入れられており、最近代理母での出産を求めた女性についての報道も好意的だった。学生はこれを日営医療の一つと受け止めているのだろう。医療系の学生といえども情報源のほとんどはテレビ、新間であり、大学で議論する機会はほとんどないそうなので、クローンについて深く考えずに、「不妊治療ならよかろう」と反応したようだ。

そこでは、生物の長い歴史の中で登場した有性生殖のもつ意味が考慮されているようには思えない。二つの個体が持つゲノムが混じり合い、たった一つしかない新しい組み合わせの個体が生まれ、一人一人が新しい存在として生きることの意味だ。
受精なしの誕生はこの歴史を逆行させるもので、そこまで人間が手をつけてよいはずはな
い(家畜の場合は食物生産の手段として扱っているので、生物としての判断とは別だ。もちろんこれは人間の勝手としか言えないが、それはクローンに限ったことではない)。
もう一つ、「夫または妻の遺伝子」というところに反応したのではないかという点も気になる。私は、ある女性からの「老年になり、子供を持たなかった私の遺伝子が残らないまま消えるのかと思うとつらい」という手紙にこう答えた。人は99・99%まで遺伝子を共有しており、さらには他の生物とも多くを共有している。それはすべて次世代につながっているわけで、遺伝子のよさは、私の遺伝子などというものはなく、空間としても時問としても全生物につながっていると思えることなのだと。

このように、最近の生物研究が、遺伝子や性について明らかにしてきたことを踏まえ、生きものとしての視点から人間を見るなら、おのずとクローンは無意昧という答えが出る。
しかし、産業や経済の活性化のための生命科学研究に多額の研究費が出され、そこに重点を置く研究者がふえた状況下では、学生にも生物研究の成果が、生きものを知り人問を知るためのものとして伝えられていないのではないだろうか。
現時点では人間のクローンに関し、世界的に禁止の方向が出されているが、これは倫理や法律の問題ではない。クローンに限らず生命科学のかかわる技術は、40億年近い歴史をもつ生きものの一つとしての人間がどのような存在かを見極め、それを大切にする暮らし方や医療を考えるところから出発する必要がある。
遺伝子やたんばく質を特許の材料にして儲けた人が勝ちというのが生命科学であるかのような雰囲気の中で育つ専門家が、望まれればクローンもつくりましょうとなることを恐れる。
 
2002年(平成14年)9月25目